田舎育ちの“ぽんた”が、ヨーロッパの町を歩いて見たまま感じたままをレポートします。
今回はイタリアのローマです。

ローマ

古代ローマへの入口tram
空港からローマ中心部に入るときに通過するアウレリアヌスの城壁に開けられた門の一つです。この先にコロッセオやフォロ・ロマーノなど、古代ローマの中心地があります。アーチの門とイタリア笠松の街路樹が、ローマに来たんだ!ということを実感させてくれます。わくわくしてきます。

トレヴィの泉tram
後ろ向きにコインを投げ込むと願いが叶うと言われるトレヴィの泉。背面のバロック風建物(ポーリ宮殿)の壁面に彫られたおびただしい彫刻群と一体になっています。現在の形になったのは18世紀の後半と言いますから、歴史的にそう古い部類ではないのですが、観光客で常に混み合っているそうです。腰掛ける場所を探すのにも苦労しました。

パンテオンtram
正面に“ AGRIPPA”の文字が確認できます。この建物は、初代皇帝アウグストゥスの腹心であったアグリッパが紀元前25年に建造し、13世紀に建て直されたものです。元は様々なローマ神を奉る万神殿でしたが、7世紀頃からキリスト教の聖堂として使われてきました。吹き抜け窓の開いたドームが印象的です。

ヴィットリアーノtram
正式名称はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。古代・中世の遺跡が“自然に目を引く”ものであるとすれば、これは“否応なしに目立つように”建てられたもののように見えます。不必要に思えるほど高い土台の上にそびえ立つ巨大な白い建造物は、周囲を威圧するかのような存在感があります。

ヴィットリアーノtram
19世紀末にイタリアを統一した初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂ですが、あまりにも目立ちすぎるためか、ローマ市民の評判はあまりよろしくないとのことです。中世の建物群を根こそぎ撤去して建てるなど、文化財破壊とも言えるやり方が反感を呼んだのかも知れません。

フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノtram
ヴィットリアーノの南に広がる遺跡群がフォロ・ロマーノです。古代ローマの中心地であった場所で、多くの神殿や凱旋門が散在しています。基盤だけになったものや柱が辛うじて立っているものを含めると、いたるところ遺跡だらけで、遺跡の上にどんどん町が造られ、それがまた遺跡になっていったように思えます。

フォロ・ロマーノtram
4世紀末にキリスト教が国教になってからは、神々を祀った神殿の聖なる火も消されてしまいます。そして帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国は度重なる反乱や異民族の侵入によって衰退していきます。魂の救済を求める人々によってキリスト教はますます浸透してゆき、キリスト教一色の時代となっていきました。

フォロ・ロマーノtram
東西分裂後、かつての帝国の中心地も打ち捨てられて人々からも完全に忘れ去られてしまいました。土砂の下に埋もれていたため、遺跡は傷むことなく永い眠りについていたのですが、やがてルネサンスによって古典建築が見直されるようになると、今度は乱掘による破壊の危機に直面するのでした。

フォロ・ロマーノtram
フォロ・ロマーノは、紀元前5世紀のローマ建国時から4世紀頃までの様々な時代の遺跡が積み重なり、発掘調査は簡単ではないようです。柱だけが遺る神殿の遺構を眺めていると、強大な力を誇った帝国も歴史の流れには逆らえなかったのだなあとしみじみとした思いがこみあげてきます。

パクス・ロマーナtram
2世紀頃の五賢帝の時代に帝国は最大となり、地中海周辺だけでなく現在のフランスやイギリスの辺りにまで領土が広がります。パクス・ロマーナ(ローマによる平和)とは、紀元前27年から五賢帝時代の終わりである180年頃までを指します。ローマの軍事力によってこの地域に約200年間にわたる安定と平和がもたらされたのです。

コロッセオ

コロッセオtram
フォロ・ロマーノの東南にコロッセオがあります。コロッセオと言えば、映画『グラディエーター』を思い出しますが、私は大きな勘違いをしておりました。小説『クオ・ヴァディス』でも闘技場が出てきますので、暴君ネロとコロッセオを勝手に結びつけておりましたが、ネロの時代にはまだコロッセオはなかったらしい…。

コロッセオtram
コロッセオが完成したのは西暦80年、ネロが30歳の若さで自殺したのが西暦68年ですので、ネロの時代にはまだ無かったのです。了解。あえて関係づけるとすれば、“皇帝ネロの宮殿の庭園があった所に建てられた”ということぐらいでしょうか。今回もう一つ知ったこと、それは”ローマン・コンクリート”について。

ローマン・コンクリートtram
近くで見ると、平べったいレンガを幾重にも積み重ねて柱や壁を造っていることがわかります。巨石に比べると脆弱なレンガを千年以上ももつ強度にまで高めているのが、石灰と火山岩を混ぜた古代コンクリート。約50年で劣化する現在のコンクリートよりも優れているといいますから、昔の人の知恵と技術はすごい!

サンタンジェロ城tram
バチカンに向かう途中、テヴェレ川を渡った右手に巨大な円筒形のサンタンジェロ城が見えてきます。135年に五賢帝の一人ハドリアヌス帝の霊廟として建造されましたが、その後は城壁の一部になったり、14世紀以降は要塞として使われるなど軍事基地化していきました。現在は博物館になっています。

バチカン

バチカン市国tram
この美しい道路はコンチリアツィオーネ通りと言うのだそうです。正面にサン・ピエトロ大聖堂が見えてきました。この先の道路を横断すると、世界最小のバチカン市国です。バチカンと先ほどのサンタンジェロ城との間には秘密の地下通路があるという噂もあり、本当にあるとすればこの下辺りを通っているのかも…。

サン・ピエトロ大聖堂tram
カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂です。サン・ピエトロとは「聖ペトロ」の意味で、ローマで殉教したキリストの使徒ペテロの墓所を祀る聖堂として、4世紀に創建され7世紀に完成したものです。キリスト教の教会建築としては世界最大級で、ローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあります。

スイス傭兵tram
バチカンのスイス傭兵。ここから先へは通行証がないと入れません。彼等が教皇の警備にあたるようになったのは16世紀初めの頃で、以来、傭兵はローマ教皇の命を何度も救い、忠誠心が厚く信頼されるようになりました。オレンジと青の縦縞模様が特徴的な軍服は、ミケランジェロのデザインと言われています。

ライオンの像tram
バチカン美術館の中庭にあったライオン像です。艶のある黒っぽい花崗岩で作られています。台座にヒエログリフ(エジプト象形文字)が彫り込んであることからすると、エジプトから運んできたもののようです。だとすると、数千年前のものなのでしょうか?…なぜか悲しそうな表情が気になって撮りました。

アテネの学堂tram
バチカン宮殿ラファエロの間にある有名な絵画。中央は哲学者プラトン、右側青い服はアリストテレスです。プラトンのモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチだとされています。画面下方で頬杖をついているのはヘラクレイトスで、モデルはミケランジェロだと言われています。古代ギリシャの明るい雰囲気があふれています。

アダムの創造tram
システィーナ礼拝堂にある多数の天井画の中に「アダムの創造」があります。映画『ベン・ハー』で初めて見たとき、何とも言えない新鮮な感動を覚えました。堂内は撮影禁止でしたので、この写真はwikiから拝借したものです。…でも皆平気で撮っていましたね。それに私語が堂内に反響して神聖さが感じられなかったのが少し残念でした。


次ページはスイスの“ルツェルンとグリンデルワルト”です
(工事中につきしばらくお待ち下さい)

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