田舎育ちの“ぽんた”が、ヨーロッパの町を歩いて、見たまま感じたままをレポートします。 初回はギリシャのアテネです。
アテネ
◆トラム
アテネと聞くと古代ギリシャの遺跡の町というイメージがありますが、市内でまず目についたのはこのような最新型トラムです。ギリシャは財政難と聞いていましたので、日本でもまだ導入が少ない低床式トラムが走っていることにまず驚きました。乗り降りが楽な上に、騒音が少なく快適な市街電車です。
◆国会議事堂
手前の広場はシンタグマ広場です。シンタグマとは「憲法」のことらしいので「憲法広場」ですね。アテネのほぼ中心にあって、行政・商業・観光の集中スポットとなっているようです。国会議事堂横の無名戦士の墓では1時間毎に衛兵交代式が行われ、人気の観光スポットになっています。
◆ビザンツ遺跡
4世紀からの東ローマ帝国時代のアテネは、古代ギリシャ時代とは異なるキリスト教文化が浸透していった時代です。この時代に多くのビザンツ教会が建てられました。しかし近代以降、ヨーロッパのルーツとしての古代ギリシャへの回帰が強まるとともに、ビザンツ時代の建造物の多くが失われてしまいました。
◆遺跡の町
アテネの町を歩くと、遺跡の上に街並みがあることを実感します。公園や住宅の下などいたる所“本物の遺跡”だらけなのです。ロマンをかき立てられる話ですが、生活には不便なことも多いだろうなあ。住宅を建築する際の基礎工事はどのようにしているのだろう。それに水道工事や下水道工事はどうやっているのだろう。
◆遺跡の階段
写真は、手前から、古代ローマ時代の遺跡群、近代初期の新古典様式建築、その奧に残念ながら見えにくいのですがビザンツ様式の教会、そして遠くの小高い丘が古代ギリシャ時代のパルテノン神殿を遺すアクロポリスです。中段に見える新古典様式の建物の多くはレストランや土産物店になっています。
◆タベルナの横で
アクロポリスに通じる坂道の途中にはタベルナという小さなレストランやオープンカフェが点在しています。涼しい風の通るテラスのカフェでのんびり将棋のようなゲームをしているのは、観光客ではなくて地元の人のようです。そして、ゆったりした生活をしているのは人だけではありませんでした。
◆眠りこける犬たち
それにしても、アテネのわんちゃんたちはよく昼寝しますね。それも人通りの多い往来の真ん中でも平気で…。通行人に踏みつけられるのではないかと、見ていて心配するほどです。この日出会った十数匹の犬のうち、歩いていたのは1匹だけでした。詳しい状況はこちらの写真でご確認下さい。
ゼウス神殿
◆ハドリアヌス門
アクロポリスから東南方向にあたる市街地の道路際に建つアドリアノス門。ローマ五賢帝の一人ハドリアヌス皇帝のために建てられた凱旋門だそうです。意外に小さな門ですが、ゼウス神殿への目印としては立派に役目を果たしています。それはそうと、ここだけなのかもしれませんが、大通りを渡る歩行者用信号の何と短いこと。青になって渡り始めたらすぐ黄信号になり、小走りでようやくセーフといった感じでした。六車線もある道路を横断するには短すぎます!!アテネの人も犬もあんなにのんびりしているのに、このせっかちさは一体何なんだ!?
◆ゼウス神殿
間一髪の思いでハドリアヌス門前の信号を渡り、いよいよゼウス神殿に向かいます。広大な広場の中央に巨石柱が数本見えます。ゼウス神殿の遺構です。ゼウス神殿は、紀元前6世紀に建設が始まり、完成したのは2世紀のハドリアヌス帝の頃だったと言いますから、完成までに約700年かかったことになります。
◆ゼウス神殿
この神殿は最高神ゼウスのための神殿で、幅43m奥行き110mの敷地に直径2m高さ17mの円柱104本が立ち並び、屋根までの高さは27mという古代ローマ最大規模の建造物だったそうです。工事が何度も中断したのも、その巨大さゆえに発生した財政・政治・宗教上の様々な事情があったようです。
◆ゼウス神殿
神殿建設の再開を最終的に命じたのは初代ローマ皇帝アウグストゥスで、完成したのがハドリアヌス帝の132年と言いますから、これだけでも百数十年かかったことになります。建設開始から約700年も経ってようやく完成した神殿には、黄金のゼウス像とともにハドリアヌス皇帝の像が祀られていたそうです。
◆ゼウス神殿
現在も立っている柱は15本です。地震による倒壊の他、東ローマ帝国時代にキリスト教以外の神が否定されたため、5世紀にはゼウス神殿は取り壊され、石材がキリスト教の聖堂や教会建設に使われたのです。700年もかけて完成した壮大な神殿も、実際に役目を果たしたのはわずか300年足らずだったのです。
◆ゼウス神殿
ゼウス神殿の巨大な柱列の北西に見える小高い丘はアクロポリスです。頂上に建つパルテノン神殿は、ここからでもその偉容を望むことができますが、わずか15本の柱しか残っていないゼウス神殿でも、近くに立ってみるとその巨大さに圧倒されます。パルテノンを凌ぐ規模であったことが容易に想像できます。
アクロポリス
◆ゼウス神殿からアクロポリスを望む
ゼウス神殿から望んだアクロポリスの丘です。アクロポリスとは小高い丘という意味だそうです。戦乱の時代には、自然の丘を利用し、周囲を石組みで補強した山城として整備されたのでしょう。そして、アテネが都市国家として安定した後、永遠の平和と繁栄を願って建てられたのがパルテノン神殿だったのです。
◆現役の古代劇場
アクロポリスへ登る途中の劇場です。古代遺跡だろうと思っていたのですが、床面や座席がわりと新しい。聞くところによるとこれはヘロデス・アティクス劇場と言って、造られたのは2世紀半ばですので確かに古代遺跡なのですが、50年ほど前に一部修復された後は毎年演劇や音楽会が催されている現役の劇場とのことでした。さすがアテネ。
◆プロピュライア(神門)
アクロポリスの頂上にはこの巨大なプロピュライアを通って出入りします。城塞や神社の楼門にあたる所でしょうか。そびえ立つ円柱が頭上に迫り、その巨大さと神聖な雰囲気に威圧されます。パルテノン神殿のあるアクロポリスには年間100万人が訪れるそうです。
◆パルテノン神殿
アクロポリスの頂上は約3万㎡の平地になっていて、古くは新石器時代の遺跡まで出土するそうです。現在のパルテノン神殿は、紀元前5世紀頃アテネが宿敵ペルシャとの戦いに勝利し、民主的な都市国家として黄金期を迎えた頃に建てられたものです。西洋文明はこの頃に培われた文化が基礎になっています。
◆古代世界のリーダー
紀元前5世紀頃、古代世界のリーダーとなったアテネにとって、アクロポリスは単なる宗教施設にはとどまりませんでした。宗教・芸術・哲学・科学などあらゆる分野で革新的な試みがなされ、それらの総合的成果として結実したものの一つがパルテノン神殿だったということらしいです。
◆西洋文明の源流
パルテノンに代表されるギリシャ文明はローマ帝国に引き継がれ、今日の西洋文明の源になったとされています。ただし、西洋が近代化の過程で自らのルーツを再発見し、ギリシャ文明を見直すまでは、この文化遺産の価値も正しく評価されることなく、戦火や掠奪によって荒れ果てたまま放置されていました。
◆エレクテイオン
アテネ黄金期の紀元前5世紀に建てられた神殿です。北側には6体の少女像が屋根を支える姿が特徴的な、ポーチ状の玄関があります。本来アテナ神を祀るための神殿でしたが、7世紀には教会に転用され、15世紀からのオスマントルコ占領時代にはハーレムとして使用されたこともあるとのことです。
◆古代アゴラ
アクロポリスから見た古代アゴラとアテネの町です。手前の緑地が遺跡だらけの古代アゴラ(広場)です。中央に見える神殿遺跡が紀元前5世紀に建設されたテッシオン (別名へーファイストス神殿)と呼ばれるもので、規模は小さいですがパルテノン神殿の面影をよく残しているそうです。
◆古代アゴラ
ゆるやかな坂を古代アゴラまで下りてきました。周囲は見渡す限り彫刻などの石造遺跡がごろごろしています。現在も発掘中らしく、地中に半ば埋もれた円柱が無数に散在しています。紀元前4~5世紀にはこの辺りに官公庁や市場・劇場などの公共施設が集まり、人々はアテネの黄金時代を謳歌していたのでしょう。
◆テッシオンの円柱
テッシオンはパルテノン神殿よりも先に建築されたらしいですが、ギリシャの神殿遺跡の中でも保存状態がよい方とのことです。テッシオンに祀られた神はヘーファイストスという火の神だったそうです。パルテノン神殿も、かつてはこのように白い円柱がこれよりも大きな規模で美しく輝いていたのでしょう。
アテネで見た花など
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アテネで見た犬など
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アクロポリス全景

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